昨日とある音楽番組を見て

出演していたアーティストが、「音楽に正解も不正解もない」と言った。わたしはそれにはっとさせられてしまい、色んなことに一瞬で気付かされてしまった。
まず、自分で自分の音楽は正しくないと思っていたこと。それから、自分が人の音楽に正解や不正解のレッテルを貼り付けていたこと。そしてその偏った概念からはみ出たものは音楽じゃないと思っていたこと。自分の音楽さえも、好きだけど、本当はこんなのダメと思っていたこと。本当は、ってなんだ?
別にもういいんじゃないかなと思えた。
自分で首を締めていた喉から出る声なんてろくでもない。もっと開放して解放してあげないと
誰かに、お前の歌はデタラメだと言われる日が来たら、なんて言おうかなんて考えた。やっぱりそうかと肩を落とすのは嫌だなぁ、なんか、むかつくし
わたしはそんなデタラメでも愛しているし、わたしはわたしのために歌っている。わたしの歌を好きでいてくれる人は、そんなわたしの感覚にどこか共鳴してくれているからであって、歌っているわたしが寄り添ってるのではなくて聴いてくれている人が寄り添ってくれてるということ。なんか引力的なものが発生したということ。別にこの形をだめなんて誰かに言われることないよな。もっともっと自由でいたい。もうできることしかできないんだから、それは諦めじゃなくて、その中の最大限をやっているうちに、キャパがどんどん広がったらいい。わたしはただの端くれのシンガーソングライターだけれど、昨日はそんなことを思いました。当然この先もまた自暴自棄になってしまうことなんえいくらでもあるだろうが、音楽に対してやめるとかやめないとか、そういうことを考えたことはない。音楽は仕事じゃないからマストじゃない、ただ生活の一部で、あったらベターなもの。です。

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